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    <title>運命的な出会いとは</title>
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    <subtitle>運命的な出会いについて解説しています。</subtitle>
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    <title>違う世界の友人</title>
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        <![CDATA[<p>バリ島は地上最後の楽園とうたわれています。自分でもお気に入りの場所です。二十代のころから決めていたのですが、50代近くまで懸命に仕事をして、残りの人生は亜熱帯の甘い空気とガムランの音色が響くバリでゆったり生きようと思っていました。実際には、訪れたのは一度だけ。それも数日滞在しただけなのですが、それからどれだけの歳月が流れても、自分を魅了してやまない土地です。昼も夜も島中に響いているかのようなガムランは、自分の心の中から消えることがないのです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>バリに滞在しているとき、夢のなかに聖獣バロンが出てきました。まるでガムランの不思議な音階がつれてきたかのように。思い出すだけで、今も自分の体のどこかでうたた寝をしている錯覚に陥ります。たまにこの獣は目覚めるようで、今日も夢の中に現れ、金に輝くたてがみをなびかせていたようです。ところで「サンヒャン・ドゥダリ」といわれる秘儀舞踊をご存知ですか。シークレットダンスといわれ、初潮前の少女をトランス状態に導く踊りです。中沢新一の著書にも紹介されています。本場で観ることは難しいだろうと思いましたが、話だけでも聞けたらと思っていました。</p>

<p>そこで、バリで滞在中、ホテルのボーイのSさんと親しくなったので、いろいろ質問してみました。Sさんは、私の好奇心たくましい質問に親切に対応してくれました。4～5ヶ国語を話せるという彼は、インテリで人柄もよく魅力的な人です。「ぜひ日本にも来てくださいね」と社交辞令で言ってしまって、すぐにしまったと思いました。</p>

<p>「それは無理でしょう」ととまどいを一瞬見せつつも、彼はすぐに笑顔に戻りました。彼とはしばらく手紙のやりとりもしていたのですが、最近は音信不通です。今度は家に泊めてあげるよといわれて、気持ちよく別れた彼のことを今でもときどき思い出します。バリでのんびり暮らすには、まだまだ時間がかかりそうですが、彼との再会を夢見ることが仕事のやる気を高めてくれているのは確かです。</p>]]>
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    <title>ネットでチャンスをつかむ</title>
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        <![CDATA[<p>ネットでの出会いについてのお話をしましょう。これは、出会い系サイトの話ではありません。mixiはSNSすなわちソーシャルネットワーキングでもっとも有名ですが、2005年に私がここに初めて参加した時の話です。「マイミク」と呼ばれる友人のうち、50%くらいは実際に知っている人で、残りはネットのみで話す関係でした。ある日、あるマイミクの友人欄をつらつらと見ていて自分が卒業した大学の名前を見つけたのですが、よく見ると所属する学部学科まで同じ！という女の子がいるではありませんか。</p>]]>
        <![CDATA[<p>その偶然がおもしろくて、その女性のプロフィールや日記に目を通してみました。15歳も年下なので、世代は違うわけですが、自分も知っている教授の名前を発見。もちろん当時は教授ではなかった人ですが。しかも、偶然はそれだけではありませんでした。mixiの集まりにコミュニティというのがありますが、彼女は出身小学校の集まりのコミュニティに入っていました。大学がある県とは全然関係のない田舎町の小学校なのですが、それがまた私の出た小学校でもあったのです。</p>

<p>すっかり不思議な気持ちのまま私は彼女にメッセージを送ってみることに。離れた土地にあるふたつの学校という偶然の重なりがあれば、唐突にメッセを送ることが失礼には思えませんでした。お互いすぐに意気投合し、親しいメッセをやりとりするうちに、さらにおもしろい偶然を発見しました。それは、彼女が子供のとき住んでいた家はある企業の社宅だったのですが、彼女がそこに住む10年ほど前まで、なんと小学生の私が住んでいたのです。</p>

<p>ここまで重なると、おもしろい偶然どころではありません。「シンクロニシティ」とはこういうことかと思いました。彼女と会おうとは思いませんでしたが、私はこの出会いをきっかけに、久しぶりに新幹線とローカル列車を乗り継ぎ、卒業した小学校を訪れ、幼なじみたちと久々に盛り上がりました。ネットがつなぐ縁ってなんて不思議なんだろうと実感したエピソードです。</p>]]>
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    <title>良い指導者と出会う</title>
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    <published>2009-09-12T18:21:40Z</published>
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    <summary>小学校に入ってからの数年はかなりの問題児で知られた私。先生の言うことも聞かなけれ...</summary>
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        <![CDATA[<p>小学校に入ってからの数年はかなりの問題児で知られた私。先生の言うことも聞かなければ、宿題はしないし、授業も無視、べつに悪ぶっていたわけではないんです。もう遊ぶのに夢中で、学校生活や勉強にちっとも関心がなかっただけなのです。当然のことながら、学校の成績はひどいし、担任からもいつも大目玉でしたね。小学校の成績表は確か三段階評価で、「よい」「ふつう」「もう少し」に分かれていた記憶がありますが、「よい」なんてゼロだったのではないでしょうか。</p>]]>
        <![CDATA[<p>担任から「あなたの子どもに教えるのは無理」なんて母親もいわれて、あきらめ半分だったのか、子供をひどく責めたりはしませんでした。そんな私にも転機がやってきました。それまでも親の仕事の都合で小学校の転校を繰り返していたのですが、4年生になってまもなく、小さな田舎町に引っ越しました。そのとき、落ちこぼれの成績を見かねた両親が、転勤と転校をきっかけに私を学習塾に入れることにしました。</p>

<p>学習塾とはいえ、計算プリントを解くくらいしかやることはなく、特別なことを教えてくれるわけではありません。小学校の低学年の復習をする感覚の補習塾と言ったらいいでしょうか。その学習塾に初めて入った日、若い女性の講師と出会ったのです。彼女は、私に入塾する際の学力を診断するテストをさせようとしました。はじめての学習塾体験ですから、違和感のある雰囲気に臆していたものの、それでも私は一生懸命取りかかりました。しかし、半分もわかりませんでした。</p>

<p>テストを採点したあと、女性講師は私をまっすぐに見つめました。しばらくして、彼女が発した言葉を、私は一生忘れないと思います。彼女は私の間違いだらけの答案を見つめながら、「計算がとても上手なのね」と言ったのです。もううれしくて、天にも昇る心地でした。この一言が契機となり、私はそれからというもの、算数だけはちゃんと勉強したのです。これが人生で初めての指導者との出会いだったと言えるでしょう。</p>]]>
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    <title>旅行が出会いを広げる</title>
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        <![CDATA[<p>谷岡亜紀は旅を愛しましたが、香港で詠んだのがこんな歌。「臓物を大鍋に煮る屋台まで人生の今日を歩み来たれり」。香港の下町をほっつき歩いている最中に見つけた屋台で、大きな鍋で似込まれている臓物がぐつぐつ音を立てている。食べてみたら、たまらなくおいしい。この瞬間のために今まで生きてきたのだ。そんな意味の歌でしょうが、いい歌です。香港には自分も一度訪れた記憶があります。</p>]]>
        <![CDATA[<p>1992年のことでしたから、中国に返還される前の時代です。ただ、すでに人民元がそろそろ幅をきかせていたと記憶しています。後輩とふたりで、朝の公園をぶらつき、下町の屋台もめぐりました。いわゆる観光地で行ったのは、タイガーバームガーデン（虎豹別墅）くらいでしょうか。九龍地区の路地裏をひたすら歩いていくと、徐々に日本人を見かけなくなり、やがて西洋人もゼロになり、聞こえてくるのは広東語だらけになります。</p>

<p>古いアパートとアパートの路地の狭いところで紙牌に興じるおじいさんたち。外国人の我々をきっとにらんでいました。香港ではタクシーにも乗りました。はたちそこそこに見える陽気な運ちゃんに会いましたが、香港人のほとんどの例にたがわず、英語を話しました。こちらは片言のみ。20～30分ほど車の中で話しただけですが、あっという間に打ち解けました。彼がハンドルを握りながら、頻繁に後ろを振り向くので、ちょっと心配ではありましたが。</p>

<p>後輩が日本の歌を歌って聞かせると、香港では日本カルチャーがあふれているので、すぐさま一緒に歌いだします。後輩は歌が上手なので、私はつい「He is a singer．」なんて調子に乗って言ってしまいました。いまの時代なら気軽にメールでやりとりもできるけれど、当時はまだネットの時代ではありませんでした。彼はタクシー料金をいらないと言ってくれました。それで私たちは記念にと日本円を渡し、気持ちよく手を振って別れたのです。</p>]]>
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    <title>祖父の思い出</title>
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        <![CDATA[<p>「祖父との出会い」というテーマで話してみたいと思います。そもそも私は祖父母宅で生まれているので、出会いという言葉はふさわしくないのかもしれません。ただ、祖父とはめったに顔を会わせることもなく、祖父と面と向かって話ができるようになったのは、私が大学生になってからのことなのです。祖父は、満州からの引揚者でした。戦後はソ連軍の捕虜となり、大人数を祖父が率いて日本に引き揚げてきました。日本に帰ってからは、ある地方都市の助役として活躍したと聞いています。</p>]]>
        <![CDATA[<p>祖父は学者のような一面も持っていたようで、自宅には中国や日本の歴史、政治などについてのさまざまな書物がありました。孫を甘やかすような祖父ではありませんでしたが、私が大学に入って中国文化を専門とするようになると、マメに面倒を見てくれるようになりました。大学で卒業研究にとりかかる時期のこと、久しぶりに帰省した私に、祖父は次のような質問をしてきたのです。</p>

<p>「日本はアジアでたくさん悪事を働いてきた。それは間違いないのだが、日本が戦争に敗れたために、アジア各国は独立することができたのも事実。これはどういうことだと思うか」。祖父は歴史の持つ力のようなものをほのめかしたかったのではないでしょうか。ただ、私には難解な質問でした。それに、祖父も答えを出してはいないのでしょう。ふたりで黙ったまま同じ学問を目指す者同士として、しばらく目を見詰め合ったものです。</p>

<p>思えば、祖父と孫という関係を超えて、一対一の男、あるいは大人の人間として、初めて対等に話すことができた瞬間だったと思います。私はそのとき初めて祖父と本当の意味で「出会った」のではないかと思うのです。祖父はこの出来事のしばらくあと故人となりました。つまり、祖父の投げかけた言葉はそのまま、自分にとっての人生をかけて追うテーマとなったのです。生き方を変えるような出会いというのは、意外と近いところにあったりするものです。</p>]]>
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    <title>親友はいますか？</title>
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    <published>2009-09-12T18:21:40Z</published>
    <updated>2009-09-12T18:21:40Z</updated>

    <summary>友人のTは言いました。「おたがい、一人前になったら会おう」と。彼がそう告げた春、...</summary>
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        <![CDATA[<p>友人のTは言いました。「おたがい、一人前になったら会おう」と。彼がそう告げた春、私は24歳でした。高校時代から私たちは親友で、Tの言いたいことは身にしみてわかりました。高校2年生の春、私たちは出会ったのです。二人とも学校をさぼって注意されたりと、どこにでもいる高校生でした。そんな二人に転機が訪れたのは、当時よく売れていた落合信彦の本を、二人で競って読み始めてからではなかったかと思います。当時、私たちは純粋だったのです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>『20世紀最後の真実』『傭兵部隊』『アメリカよ！あめりかよ！』といった著作に私たちが憧れを抱いたのは、友情の絆や男のかっこよさ、死に様といった、平均的な高校生らしからぬものでした。アメリカンドリームそのものと言ってもいいでしょう。夕日に染まった教室や、真夜中の公園、それぞれの部屋に集まっては、私たちは将来の夢について語り合いました。やがて私たちは大学への進学を決め、受験勉強を始めました。</p>

<p>大学に入った頃、二人はすでに落合信彦を読んでいませんでしたが、夢は忘れていませんでした。Tが現実という壁にぶつかったのは、就職に失敗してからでした。アメリカンドリームに敗れたほどのショックだったのでしょう。冒頭の言葉のように「一人前になったら・・・」というのは、そこそこの企業に入って安定路線の自分に対する挑戦の言葉だったのでしょう。自分としては夢をあきらめたつもりではありませんでしたが、それ以来、15年間、彼とは音信不通となりました。</p>

<p>それでも一番の親友という意識はもっていました。最後に会ったのは葬儀場です。交通事故でした。遺影の彼の視線は遠いアメリカを見つめているようでした。「おたがい、一人前になったら・・・」という親友との約束は、今、私の生きる糧になりました。彼との約束があるから、困難なことも乗り超えていけると思うのです。自分の生涯において、彼との「出会い」はきっと二度と訪れない、かけがえのないものであり続けることでしょう。彼はきっと天国で一人前になって待っているはずです。</p>]]>
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    <title>出会いは不思議なもの</title>
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    <published>2009-09-12T18:21:40Z</published>
    <updated>2009-09-12T18:21:40Z</updated>

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        <![CDATA[<p>男と女が出会うときって、不可思議なものですよね。出会いというと思い出すのが「トリスタンとイゾルデ」の物語。この物語は、ワーグナーの楽曲でも有名で、中世ヨーロッパ最大の恋の悲劇とされています。同時に、「アーサー王と円卓の騎士」の挿話でもあるのをご存知ですか？。物語は、アイルランドの王女イゾルデをめとるため、コーンウォールのマルク王が騎士トリスタンを使者として送るところから始まります。</p>]]>
        <![CDATA[<p>一方、王妃は見知らぬ土地にお嫁に行く娘のため、永遠の愛を叶えるという媚薬を娘の侍女にもたせます。こっそりとマルク王とイゾルデに飲ませるよう命令して。ところが、侍女は間違いを犯します。イゾルデと使者のトリスタンに媚薬を与えてしまったのです。たちまちふたりはほれあって恋の虜に。王に見つからないよう逢瀬を重ねます。しかし、二人の関係を知った王は怒り、トリスタンを国外追放してしまいます。</p>

<p>トリスタンは別の女性と結婚しますが、恋しいイゾルデを忘れることができません。ある戦争で重傷を負い瀕死状態に陥った彼は、イゾルデに会いたくて船を遣わします。海を見下ろす高台の部屋で寝込む彼は使者に向かって、イゾルデがついてきたら船に白い帆を、一緒でないときには黒い帆を掲げるように命じていたのです。その結果、イゾルデ船に乗り、白い帆の船がやってきます。トリスタンは病床から起きあがれないため、かたわらで看病する妻に旗の色を尋ねます。妻は実は使者との会話を立ち聞きしていたので、嫉妬から「黒の帆です」とウソをつきます。</p>

<p>トリスタンは絶望のあまり、「イゾルデ」の名を四度叫び、息をひきとりました。その知らせでかけつけたイゾルデは愛しいトリスタンの遺体と抱きあったまま息絶えるのです。マルク王により彼ら二つの墓が作られました。夜、トリスタンの墓からイゾルデの墓に向かって一本の蔦が伸びていきます。何度切ろうが、夜になると蔦はイゾルデのもとへ伸びるので、王はその蔦を切らないように命じたそうです。</p>]]>
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    <title>出会いは突然に</title>
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    <published>2009-09-12T18:21:40Z</published>
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        <![CDATA[<p>仕事柄、私はいつも比較的遅い時間にランチをとります。世間のランチタイムをすぎている時間帯なのでオフィスのそばのスーパーで値引きシールの貼られたお弁当を買うか、コンビニ弁当などで済ませることが多いです。ある日、いつもの習慣でスーパーでわずかに残った弁当を物色していました。そのとき、ややうつむき加減で惣菜に手を伸ばしている女性の顔を見て、「あ、あの人は！」と心臓が飛び出しそうになりました。</p>]]>
        <![CDATA[<p>あれからすでに10年以上がたっています。当時、私は都会の夜が明けてゆく時間帯が好きで、真夜中に出かけては、夜明けまで遊んでいる日々でした。お酒を飲んだり、ちどり足の酔った客や夜の女たちを何気なく眺めたり、街で会った見知らぬ人と語り合ったりしていました。それはそれで不思議と満ち足りた日々でした。そんな時期に彼女と出会いました。街のすみっこにある小さな公園で。</p>

<p>ある風俗店でトップだった彼女は、年下の彼氏がいて、彼のために仕事を辞めたくて悩んでいたようでした。出会った夜は、長い間話しこみ、それをきっかけにメールを交わす仲に。夜の街で擦れ違ったときなど、立ち話をする程度ですから、親しいとは言えないですが、そんな関係でした。彼女自身、店を辞めては戻ったりと繰り返しながら、結局、恋人とは別れたと聞きました。いつかその彼女ともメールも途絶えました。 </p>

<p>そして、10年の歳月を経て、30代半ば近くに見える彼女は小さな女の子をつれているではありませんか。私は手にとった弁当を何気なく戻すと、手ぶらでスーパーを出ましたた。足取りは軽やかでした。この予期せぬ出会いが、自分の少々投げやりな日常に希望を与えてくれたのでしょう。彼女に実際に声をかけることは、この先もおそらくないでしょうが・・・。</p>]]>
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    <title>山の男のエピソード</title>
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        <![CDATA[<p>三段峡は全長13キロに及び、五大壮観なる見所があります。すなわち黒淵、猿飛、二段滝、三段滝、三ツ滝です。奇岩をともなう多彩な景観の淵、瀬、滝が見られます。渓谷の入口には朱色の長淵橋がかけられ、そこを渡って3キロほど行くと、第一の五大壮観、黒淵の渡船場が見えてくるでしょう。そこで出会ったのが、見た感じ50代にくらいの髪の乱れた船頭。彼の話は興味深いものでした。自分から話しかけたのですが、黒ずんだ淵を覗き込みながらここに大山椒魚がいることができるかどうか、聞いてみました。</p>]]>
        <![CDATA[<p>「なかなか上がってこん」という船頭は、７日前までは向かいの黒淵荘で水槽に入れていたけれども、「逃がしてしもうた」とのこと。「ちょっと前まで『生きた化石』やら『天然記念物』だの言われとったが、いまじゃあ、すっかり数も増えて・・・」「鰻より美味いからじゃ」などと言います。自分も、地元で「ハンザキ」と呼ばれるこの両生類が、戦前の蛋白源として価値の高いものであったことは聞いたことがありました。今はもう食べないのでは、と聞いてみたところ、逞しく日に焼けた腕をした船頭は、にやりと笑いました。</p>

<p>「若いもんが来ては食べとるよ」と言うのです。生きたまま皮を剥いで臭みをとるのだとか。やり方はいくつかあるそうですが、一番いいのは、「焚き火に生きたまま放り込む。すると皮だけ黒く焦げて、剥きやすい」と教えてくれました。もうひとつ方法があって、沸騰した湯のなかに生きたまま沈めるそうですが、「これは勧められん。暴れて湯が飛び散って、やけどするからのう」そう言いながら船頭は舌なめずりをするような顔つきになりました。大山椒魚が浮き上がってきたら、たちまち掴まえてしまいそうです。</p>

<p>これはこの船頭、「若いもん」の中にちゃっかり自分もいれてるに違いない、水槽に入れていた山椒魚の行方が分かったような気がしました。ご相伴に預かれなかったことは惜しい気もしましたが、彼のような自然に生きる男がいるのを好ましく思いました。もちろん、彼は自分が食べたとは一切いわなかったし、観光に携る人お得意の話かの可能性もあるでしょう。とはいえ、自分は彼との出会いを通じて、山に暮らす人の力強さに打たれた気がしてなりません。</p>]]>
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    <title>感動した言葉</title>
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    <summary>初めての人との出会い、紹介されて知り合った人など、新しい出会いはいつも大きなイン...</summary>
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        <![CDATA[<p>初めての人との出会い、紹介されて知り合った人など、新しい出会いはいつも大きなインパクトをもたらします。人生を変えるきっかけになるような出会いだってあります。偶然の出会いによって導かれた自分の数十年という歳月、それはとても充実したものでした。また、出会いとは人との出会いだけではありません。本やメッセージとの出会いも、生き方に影響を与えることは非常に多いのではないでしょうか。自分にとっての山崎方代の歌はまさにそんな存在です。</p>]]>
        <![CDATA[<p>「無用の達人」だとか「放浪の歌人」なんて言われることの多い山崎方代。酒を愛し、放浪と旅を愛していました。ついに定職も持たず、数少ない支援者の好意によって、その日暮らしをしていたのです。たとえば次の歌を詠んでみてください。「こんなにも湯呑茶碗があたたかくしどろもどろに吾はおるなり」。湯呑み茶碗の温かさにふれ、「しどろもどろ」になってしまうほどどうしてよいかわからない、そんな質朴さが感じられます。それは、現代社会の小さな枠に閉じ込められた私たちが失った感性ではないでしょうか。</p>

<p>「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」という歌もあります。日々の食事に困る生き方を、今のところ、自分はしないで済んでいます。それはとても感謝すべきことでありますが、一方で、豆腐を目の前にしたときの「いそいそと」した喜びを味わえないことでもあります。もちろん、彼は流されるままに生きていたわけではないと思います。</p>

<p>「ゆくところ迄ゆく覚悟あり夜おそくけものの皮にしめりをくるる」と歌を詠めば、いざというときはという覚悟もあったことが伺えます。放浪や漂泊の生活の中、孤独に耐えながら、方代はおそらく男性の秘密のひとつを解き明かしたのではないでしょうか。彼の遺した言葉は、少なくとも自分の生き方に大きな影響をもたらしました。小骨が歯に刺さったままのように、心の隅に引っかかっているのです。</p>]]>
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